AIに教えるべきものは何だろう

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最近、AIエージェントを活用する現場では、「Skill」やプロンプトを整備し、AIの振る舞いを細かくルール化する取り組みをよく目にする。命名規則を書く。実装手順を書く。レビュー観点を書く。AIが安定して期待どおりに振る舞うよう、ルールを積み重ねていく。

この取り組みは、とても重要だと思う。現時点のAIは、ガードレールがあるほど品質が安定する。チーム開発でも、共通のルールは欠かせない。だから、ルールを書くこと自体を否定したいわけではない。

ただ、その様子を見ているうちに、私はある疑問を抱くようになった。本当に育てているのはAIなのだろうか。それとも、私たちは「設定ファイル」を育てているだけなのだろうか。

正直に言うと、私はこのルール整備に、どうも乗り気になれずにいる。なぜだろうと、しばらく考えていた。

気になっていたのは、ルールを書くことではない。ルールをどれだけ充実させても、AIの判断を支える知識を育てている感覚が、どうにも持てなかったのだ。

ソフトウェア開発では、新しいライブラリが登場し、設計手法が変わり、ドメインへの理解も深まっていく。変化は、まずルールではなく、その背景にある知識の側で起きる。そして、新しい状況に出会っても、ルールは知識から導き直せる。だとすれば、長期的に価値を持つのは、ルールそのものよりも、判断を支える知識のほうではないだろうか。

ルールと知識は似ているようで違う。例えば、「Reactでは index を key に使わない。」というのはルールだ。一方で、「なぜ安定した識別子が必要なのか。」という理解は知識である。また、「この層にビジネスロジックを書く。」というのもルールだが、「なぜその境界で責務を分けるのか。」という設計思想は知識である。

知識があれば、新しい状況でも判断できる。ルールしかなければ、ルールの外側に出た瞬間に立ち止まってしまう。ルールは知識から生まれる。しかし、知識はルールだけでは生まれない。

では、その知識をAIにどう活かしてもらえばよいのだろう。知識をそのままルールに書き換えてしまえば、結局は答えを列挙することになる。もちろん、それも必要だ。しかし、それだけでは知識は使われない。知識は、必要な場面で引き出されて初めて価値を持つ。だから最近は、AIに与えるべきものは答えではなく、「問い」なのではないかと思うようになった。

例えば、「この設計は変更しやすいだろうか」「この責務は本当にここに置くべきだろうか」「ドメインを正しく表現できているだろうか」「他の選択肢は検討しただろうか」。これらは答えを固定するルールではない。AIが知識を引き出し、状況に応じて判断するための問いである。

優れた設計者は、膨大なルールを暗記しているわけではない。設計原則や経験をもとに、その場に応じた問いを立てながら判断している。AIにも同じことが言えるのではないだろうか。

ルールは品質を安定させる。知識は判断を支える。問いは、その知識を引き出す。この三つは対立するものではなく、それぞれ役割が違う。

それでも、もし「AIに何を育てるべきか」と問われたら、私はまず判断を支える知識に時間を使いたい。そして、その知識を必要な場面で引き出せる問いを、一緒に育てていきたい。それが、今の私にとっての「AIを育てる」ということなのだ。

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